神の清さを垣間見た日


教会いつの頃からか、教会礼拝に対する期待を抱かなくなっていた。

不謹慎かもしれないが、

「日曜日に教会礼拝に参加することに、何の意味があるのだろう。」と、

思いつつ身体を教会に向かわせていた。

今日、初めてその意味が分かった。「分かった。」と言うより、

「見た。」が近い。

会衆のキリストに向けた賛美の中に、

完全に聖なる「御神」を垣間見た。

ようやく、

教会礼拝に参加する意味を

見出した瞬間だった。

国と、

力と、

栄とは、

汝のものなればなり。

アーメン


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